専門性と排他性あるいは分業と協業について
広告制作をなりわいとしてきたが、いろんな意味で限界を感じて D2C という
かブランドをやり始めたいきさつについて、以前にも書いた。
D2Cであれば、今まで培ってきたデザインや原稿制作、編集能力が活かせるだろうという思惑があったわけだが、実際にブランドをやり始めてみると、そんなに甘い話ではないことがすぐにわかってきた。
ブランディング広告というとカッコつけすぎだが、クライアント企業をあらわすコンセプトやキャッチコピーの制作、そこからデザインまでをワンストップ(最近聞かなくなりましたね)で請け負ってきた。クライアント次第であるが、作業的には楽しくやりがいも感じていた。
ただ、あるときから根を詰めて作ったわれわれの提案にたいして、どこか冷めた反応を受けることが増えてきていた。簡単に言えば、若い世代のー当時で言えば同世代のー担当者から「で、これは具体的にどんな効果がでるの」という反応である。
もっと直接的に言えば「会社のこともよく調べている、言いたいこともあっているけれど、これをWEBサイトやパンフレットにしたところで、問い合わせが増えるわけではなし、良い求職者がくるわけでなし、それが広告なの?」というような反応だ。
これに関しては、制作部分のクリエイティブを担っているので、「クライアントの言いたいこと」を具現化することが仕事なので、その批判は当たらないと、今なら反論することができる。
当時は未熟だったので、このような「効果はあんの? なんぼ儲かるの?」的なリアクションに、次第に引っ張られるようになってきた。
「われわれのやっていることって何か意味があるのだろうか」と想うようになり、「効果」がでるものを探すようになってきた。
ネット広告や発信力の養成なんていう単語が気になるようになり、書籍や通信教育にも触れるようになった。
発信力については、まだまだ身についていないがこれはイコール知名度のことで、クライアントのために使える知名度などないことに気づかされた。
ネット広告については、ブランディング広告をやりながら身につけられるような生半可なものではないことがわかった。さらに言うと、どうもネット広告の専門家たちも玉石混交であり、予算規模によってもできることが変わるらしいこともわかった。
そして何よりも広告というのは、そもそもブースターでその会社やサービスのありのままの姿を増幅するものであり、費用をかけたから必ず効果がでるものではないという当たり前の結論に落ち着いた。
で、ブランディング広告を初心にかえってがんばっていくぞ! と思っていたのだが、それとは別に「自分でもなにかやりたい」という気持ちが膨れ上がっているのを感じた。
これもクライアントによるところが大きい。それも尊敬するクライアントの方々の影響だ。
彼らの多くは、決裁権を持ったビジネスを推し進めている人たちで、自分たちの専門性を理解し、自分たちでやるよりも、その道のプロに任せた方が良い仕事は、信頼して任せるということができる人たちであった。
例えば、僕らに求められるのは、制作物のクオリティ「だけ」である。それを拡げることは、別の話だと理解しているのだ。
自社でなにかやる。事業会社になるというのは、こういう適切な判断が求められるのだろう。自分たちの職能を見つめなし、僕もそっち側というか、支援でなく自ら事業を推し進める会社になることを志向するようになってきた。
で、buddha mountain の立ち上げにつながってくるわけですが、釈迦の手の上で転がされる悟空というか(buddha moutain だけに! )、予算の問題もあり、専門性のないところを無理に自社で行おうしているところが多々あり、いつくもの壁にぶつかってしまった。
このブランドは始めたときの理想に立ち返り、これからは自分たちとは違う専門性を持ったひとに、必要な仕事を任せることを積極的に考えていきたいと思います。
自分たちをブーストさせるためには、手離さなければいけないものもあるのだと、やっと気づいた梅雨前の昼下がりでした。
今日もお読みいただき、ありがとうございました。
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