乙武さんの記事のこと
もう読まれた方も多いと想うが、以下の乙武さんの記事を読んで、幼少期のあるできごとを思いだしたので書いてみたい。上手く書けるかわかりませんが、少しお付き合いをいただけると嬉しいです。
▼乙武さんの記事はこちら
僕はマンションで育ったのだが、実家のそのマンションの向かいには、すこし年季の入ったマンションがあった。そこには、障がいのある子どもが住んでいた。もっとも、その当時は僕も子どもだったから、だいたい同い年くらいのはずである。
「障がいのある子ども」と一口に言っても、その特徴や障害の方向性、程度は千差万別で、障がい児をステレオタイプに当てはまることはできないだろう。
一方で、自分にとっての「障がいのある子ども」のイメージというのは、各々が持っているはずで、僕の場合はその向かいのマンションの彼が定点・基準点のようになっている。
僕は公立の小・中学校に進んだ。小学生のときには、障がいのある子どもたちと接することはなく、中学校には支援学級があったはずだが、交流はなかったように記憶している。また、支援学級に通うこどもたちは、比較的障害の軽い子どもたちであったように思う。なので、大きなトラブルもなく、彼らのことを意識することもなかった。
ところで、向かいのマンションの彼はいつもにこにこしながらー見ようによってはにやにやとみえなくもないー何か歌ったり、鳥の泣き声の形態模写のようなことをやっていたりすることが多かった。音に敏感であるようだった。
たまに興奮してしまうことがあるようで、奇声を発したり、叫びながら走りまわったりというのを見ることがあった。
そんな彼の様子を見て、考えの浅い子どもであった僕は「かわいそうに」とか「親はたいへんだ」と非常に失礼ながら哀れみの感情を持って見ていたように思う。
彼も僕も少しづつ身体が大きくなってきた。僕には自我の萌芽が芽生え始め、反抗期というほどではないが、生意気なことも言うようになってきた頃。たしか、小学校の5年生くらいだっだと思うが、「彼」の方は身体の成長を保護者の方が持て余しているのが伝わるようなことが、立て続けに起こった。
実家の近くには、急に車通りの激しくなる三叉路がある。信号があるのだが、結構待たされるのもあって、信号から少し離れたところを渡る人も多く、ここで事故が起き続けている。
幸いにも事故にはならなかったらしいが、「彼」は両親の静止を振り切り、この大通りに突入。肝を冷やしたらしい。
また、変声期を迎えた彼は、あい変わらず何か歌のようなものー聞いたことのある流行り歌を歌うようなことはないーや形態模写をやっていたのだが、音量、声質ともに大きく、野太くなり周辺住民を悩ませるようになってきたようだった。
さらに、興奮してしまった折に周辺のひとに、何かを投げつけてしまうことがあるようだった。そのものは自分がその時手にしていたおもちゃや、ボールのようなものだったり、近くを流れる大きな一級河川の河原から拾ってきた石だったりすることもあった。
で、その石を投げつけられた一人が僕であった。
たしか小学校から返ってきて、サッカーをしに近所のグラウンドに向かおうとしているときだったと思う。
なにかが足にあたるのを感じた。振り返ると「彼」がいて、手に小さな砂利のようなものを持っているのがみえた。
「やめろよ」僕がそういうと、さらに砂利を投げてきた。顔あたりにその砂利が触れた。彼の「悪行」を聞いていた僕は、当時、足の速さに自信があったのもあり、捕まえて彼らの両親に引き渡そうと考えた。
その瞬間であった、野球ボールくらいある石が、僕のこめかみあたりにヒットした。
呆然として立ちすくむ間に、彼は自分の家に逃げ込んでしまった。
本来であれば僕も家に帰り、その時の状況を親にでも伝えて対処するべきだったのだと思うが、少し興奮状態にあったのもあって、そのままサッカーをしにいった。
サッカーの合間に鏡を見てみると、こめかみ部分にすり傷ができていたが、騒ぐほどのことじゃないかなと感じ、結局そのまま誰にも報告しなかった。
乙武さんに記事を書かせたのは
という状況の動画を見たことある。
僕も、「彼」のことをなだめ、抱擁する親御さんの姿を何度も目にすることがあった。
対応として正しいかは微妙なところであるが、これが僕に「彼」の告発を踏みとどまらせたものだと思う。
乙武さんの言う、インクルーシブ教育は相互理解のために必要だと思う。それに加えて、彼らのことを身近に感じられるような社会の構築も、必要だと感じた。
ところで、先日、実家に帰る機会があった。
外の景色を眺めると、「彼」の部屋の窓が見えた。あれから四半世紀以上が経ったが、あの時と変わらない、彼の歌と形態模写が聞こえた。
僕は彼のことを障がいのある方の定点・基準点のようなものと言ってきたが、もう何十年も彼と、彼の生活に想いを馳せることはなかった。
驚くべきことに、僕は彼の名前すら知らない。
彼のことを、自分の小さな正義感を満たすための道具として消費していたことを、この年になってやっと理解できた。彼らの存在は社会に必要といいながら、具体的になにもしていない偽善者であることも。
今日もお読みいただき、ありがとうございました。考えるきっかけをいただいた乙武さんにも感謝を伝えたいと思います。
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