キャンドル イン ザ ウインド

エルトンジョンの名曲をタイトルにしてみました。この曲の素晴らしさはたぶん言うまでもないことですが、思い出すのはダイアナ妃の葬式のこと。
親友であったエルトンは、この曲を披露するまでの間、シクシクと泣いているというか泣きじゃくっている状態で、とても歌なんて歌える状況ではないと子ども心に思ったのをおぼえています。

上の動画は歌詞もわかるので、聞いたことのない人もおすすめです。この曲はもともとマリリン・モンローが亡くなったときに追悼曲して書かれたもので、若くして亡くなった人々を称える、讃える曲です。

ダイアナ妃に捧げられたバージョンの、サビ部分を引用します。

And it seems to me you lived your life
僕にはあなたが生きた人生は
Like a candle in the wind
風の中のキャンドルのよう思える
Never fading with the sunset
陽が沈んでも消えることはない
When the rain set in
たとえ雨に打たれても
And your footsteps will always fall here
そしてあなたの歩みはいつまでもここに残る
Along England's greenest hills
イングランドの緑豊かな丘陵に
Your candle's burned out long before
あなたの命の灯は燃え尽きても
Your legend ever will
あなたの伝説は永遠

ダイアナ妃は平和活動や慈善活動に積極的に取り組んでいたことで知られています。さまざまな国や地と友好を結ぶことで英国王室のイメージを転換したとも称されます。一人の女性の強い意志と行動が、ひとびとの感動や共感を生み、受け継がれていくさまがありありと浮かんできます。

この曲を思い出したのは明確にきっかかけがあります。最新のニュースというかゴシップで、キャンドルといえばキャンドルジュンこと広末ジュンさんのことでしょう。この話題には特に触れる気はなかったですが、彼の会見の書き起こしを読み、会見の模様を少しみて、なんだか胸にくるものがありました。

以下、こちらも引用します。

2001年に、広島・宮島で原爆の残り火である平和の火というものをともさないか、というオファーをチベットのダライ・ラマさんが呼びかけて、聖なる音楽祭という音楽祭があり、お声がけいただきました。  
これまでは自分のための火をともす。ですから当然火をともしたら火を消すことがセットだったんです。けれども、平和の火をともしたら、この火は消さないでほしいと言われました。
<中略>
でも、消さないでほしいが、目的になっていませんかって思いました。だから、自分はその平和の火を消すときに約束をしました。いつか世界から核兵器をなくして、戦争という争いごとがなくなる日を作る。自分が戦争を終わらせるんだと。そしてそうなったときに、初めて亡くなった方たちに長い時間はかかったけれども、ようやく皆さんの悲しみを世界が学んで、核兵器がなくなったよと、戦争がなくなったよと、ありがとうと感謝を伝える追悼のともしびをともしたい、と約束をしました。  
そこから、アメリカのニューヨークのグラウンド・ゼロにも、広島や長崎や沖縄で、ともしたキャンドルを持って旅をしてともしに行き、その後のアフガニスタンへの報復攻撃があった場所にもキャンドルをともしに行き、終戦記念日には中国に渡り、中国でともし、そういった戦争やテロがあった場所をともすという活動を続けてきました。
<中略>
それでもいろんなご縁で伊豆の方で大地震を受けたりですとか、新潟の中越地震とご縁があって、震災の悲しみに向き合うきっかけをいただき、これもまた1つの悲しみではないかと考え、であれば被災地支援をすることで悲しみから喜びへという癖がつくんではないかと思って、そういった活動に切り替わっていきました。

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202306180000790.htm

キャンドルはわたしたちbuddha mountain の「何もしない、をする」という活動にもぴったりで、製品化を検討したこともあったのですが、火を灯すことには、深い意味と強い意志を込められていることを思い知りました。
長年の活動により、キャンドルジュンさんがキャンドル自体の意味を押し上げたと言えるかもしれません。

ところで、今回の会見は映像を見る前に、記者との質疑応答についての記事をまず読みました。
そのときには、言っていることがよくわからなかったのですが、会見の全文書き起こしを呼んでみてガラッと印象が変わり、感慨がありました。会見映像をみて、さらに好印象になりました。

言葉を扱う人間として、技術をあげることも大切だけれど、自分の信じる活動を自分の言葉で、想いを込めて話すというのは、大事なことなんだなと強く感じました。
言葉にすると非常に陳腐ですが、陳腐で何が悪いと思わせるような迫力がありました。

今日も読んでいただき、ありがとうございます。体重の乗った言葉を書いていこうと思います。
実際の体重は減らしていきたいところですが……。

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